都内の劇場の楽屋裏で、大津監督はしかめっ面で司と青年を見比べていた。
役者達の間では鬼監督で通っているが、見た目は痩せて小柄な、ただのオジさんにしか見えない。
「で・・・?なんなの?俺にどうしろって?」
「――だから、今度の映画のスタントにこいつ使ってやって欲しいんだって言ってるだろうがっ。」
「だがなあ、ツカサ。それは、オーディションで決めるって話だっただろ?」
「あいつら、勝手にタレント事務所から裏金もらって、使えもしない人間に決めようとしやがったんだ。オっちゃんだって、良い映画が作りたいならちゃんと人間を見るべきだろ」
「小河見さん・・・・俺はべつに―――」
大声で尊大にわめき散らす司とは対照的に、青年は居場所が無さそうに恐縮して言い淀んだ。司と監督から少し離れて入り口の手前で佇んでいる。
「いいから、姫宮は黙ってろよ」
司は振り返って、強く言った。ここで本人に「やっぱ遠慮します」などと言われては、逆に司の立場がなかったし、それよりも自分の事以上にこの青年の事が気にかかってしょうがなかった。
タクシーでここまで来る道中で、司はしっかり青年の名前や簡単なプロフィールを聞き出していた。
フルネームは姫宮勇美(ひめみやいさみ)。
司が思った通り、一つ年上の19歳で今は都内のはずれにある小さなアクション事務所に所属している。
たまに着ぐるみなどを着て、デパートの屋上や催し物会場などでアクションショーに出たりしているという話は、司にとって新鮮な驚きだった。
小さいときから運動神経が抜群で、物心ついた時から将来はスタントマンかアクションスターになりたいと決めていたらしい。
お互いに会話するうち、二人はすぐに友達のように打ち解けた。とはいえ、年下の司の方があまりに有名人である以上、どうしても立場が同等とまではいかない。
しかし、小さい頃から大の大人にまで敬語を使われるのが普通であった司にとっては、そんなことはまったく気にならなかった・・・というより気が付かなかった。
実際、大物ベテラン監督の大津でさえ、司は子役の時からの習慣で未だに「オっちゃん」呼ばわりしている有様なのである。
「ツカサ。お前、そんな根も葉もないこと言っちゃあいかん。それになあ・・・、スタントはそれなりに危険が伴うんだし、経験だって必要だ。いくらお前の友達だからって特別扱いはできん。分かるな」
大津に諭すように言われたが、司はいっこうに怯む気色はない。
「なんだ。オっちゃんも、案外見る目がねえな。姫宮を使わないんなら、俺やっぱこの役降りるよ。どうせ元々大してやる気もなかったしな―――」
「小河見さん、何言ってるんですかっ!!」
大津が何か言うよりも先に、後ろにいた姫宮がいつの間にか司のすぐ目の前で怒った顔をして司を叱りつけていた。
「そんなこと・・・簡単に言わないで下さい!全国のファンの人達が、小河見さんの演技を楽しみに待ってるんですよ!それに・・・やる気がないだなんて、スタッフの人や一緒に共演する人達にだって失礼じゃないですか・・・・?」
「―――」
人当たり良く、優しいだけだと思っていた姫宮が、突然真剣に怒り出したので、司は意表を突かれ、押し黙った。
考えてみれば、言われたことは尤もな事だったが、司は自分でも驚く程に、今までそんな風に考えたり、ファンや周囲のことなど思い遣って行動したことなどなかった。
その様子をしばらく静かに見ていた大津監督が口を開いた。
「君・・・。姫宮くん、とかいったね?」
「あ。ハイ―――・・・姫宮勇美といいます」
唐突に監督から話しかけられ、姫宮は驚きと緊張のためか少し硬くなった表情で慌てて答えた。
「そう―――姫宮・・・か。うん、そっか―――わかった。アクション事務所に所属してるなら、とくに問題はないだろう。」
「オっちゃん・・・じゃあ―――」
司がパッと顔を輝かせて大津を見た。
「ツカサには、いい刺激かもしれんな・・・」
大津は目を細めて、独り言のようにそう呟くと「ヨイショ」と言って立ち上がった。
「撮影は来月開始だから、よろしくな」
そう笑って姫宮の肩に手を置き、ひょこひょこと稽古場へと戻っていった。
「・・・まったく―――なんだよあれ?急に態度変えやがって・・・勿体つけてんのか?」
大津の後姿を見送りながら司はぶつぶつ言った。ふと隣を見遣ると、茫然とした表情をした姫宮が、すでに視界から消えた大津が居た場所をまだ見つめている。
間近で姫宮の横顔を窺うと、白い肌のキメの細やかさと睫毛の長さがさらによく分かった。
「どした・・・姫宮?大丈夫かよ―――?おーい・・・」
「お、小河見さん・・・・俺、どうしよう?」
先ほどまで司を叱っていた表情から一変して、不安でいっぱいという顔になってしまった姫宮を見て、司は驚いた。
「え―――?どうしようって・・・なにが?」
「まさか・・・本当に、映画のスタントが出来るなんて―――まだ、夢みたいです・・・・」
「なんだびっくりした。不安じゃなくて、嬉しいのか・・・驚かすなよ」
思わず司が苦笑すると、姫宮は小さく「すみません」と言って、はにかんだ笑顔を浮かべた。嬉しくて興奮しているためか、上気した頬が微かに桜色に染まっている。
―――かわいい・・・・・
司はついそう思ってしまってから、愕然とした。
自分より年上の19歳の男を、「かわいい」と心底から思ってしまっているなんて・・・どうかしている・・・?
―――俺、いったいどうしたんだろう・・・・・?
さっき叱られていた時も、驚きよりもまず見とれていたのだ・・・。
人が怒っている顔を綺麗だと感じたのは初めてだったし、多分、姫宮以外の人間に対してそんなことを感じることは、まず有り得ないだろうと司は思った。
一緒に居れば居るほど、深みにハマってしまう気がして司はちょっと怖くなった。しかし、だからといって、姫宮を自分から遠ざける気になど到底なれない―――。それほどまでに、姫宮は司にとって居心地の良い相手であった。
「それじゃ・・・小河見さん。今日は、本当に色々ありがとうございました。」
「えーああ・・・。その―――」
司が「一緒に食事でも」と言いかける前に、姫宮は司に向かって深く丁寧に一礼し、
「すみません、これからバイトなので、ここで失礼させて頂きます」
言うなり、風のような素早さで走り去ってしまった。
「―――なんだよ・・・」
司は呆気にとられたまま、またもや逃げられた気分になり、舌打ちをした。姫宮の一見おっとりと落ち着いた風情と迅速すぎる動きのギャップに、司はまだ慣れずに戸惑うばかりである。
恩を着せるつもりはないが、つまらないバイトとこの小河見司と、どっちが大事なんだと問い詰めたくなった。だが、もうすでにその相手は影も形もない。
追いかけたところで、おそらく司には追いつくことなど出来ないだろう。
―――ま、いいか・・・・
撮影が始まればまた会えるのだ、と司は自分に言い聞かせた。
その前に彼の事務所に行けば会うことは可能だろうが、さすがにそれは小河見司としてのプライドが許さなかった。大体、用もないのにノコノコと会いに行くなどおかしい・・・。しかし―――・・・
―――あと、一ヶ月・・・・
司はなんだか気が遠くなった・・・・。そういえば、こんなに撮影開始日を心待ちにすることなどかつてなかったことだ、そう思うと自分でもなんだか妙に可笑しかった。
to be continued....